なせば大抵なんとかなる

日々の中で考えたことをだらだらと書き記すブログです。

己の内に潜む闇の心を自覚するということ

 様々な芸術、漫画、アニメ、ゲームで、ともすれば使い古されている「光と闇」のモチーフ。それはもともと一つだったとか、せめぎ合っているとか、強大な力の象徴だとか、使われ方はそれぞれだ。

 光と闇というのは、何も創作の中だけの話ではない。太極図であったり、天国地獄、アメとツチ、現実世界にもきちんとその概念は存在する。(元がこっちというべきか。)

 ヒトは人生の中で何度も、嫌な思い(想い)に直面する。良い思い(想い)にも直面する。ここでの思いは、自分の思い(想い)でもあり、誰かの思い(想い)である。要は、人間の感情の奔流。嫌な思いは、あるいは「持ってはいけない感情」と教育されることもある。それは決して間違いではなく、誰かを傷付けるような想いであれば、持ったとしても抑え込むことが必要だ。その感情自体を否定してはいけない。抑制がキモだ。

 怒りや悲しみなどの「嫌な感情」は、時にヒトに大きなエネルギーを与える。ひょっとすると前向きに生きるためのエネルギーをくれる。己の内の闇の心は、己の成長の糧となることもあり得る。単純に否定すべきではない力だ。

 日々の中で、心の闇に飲まれそうになる事態は少なくない。上手くコントロールしたいものである。

Aqoursの0から1へ、そしてその先へ

 Aqours 1stライブ2日目の感想。ライブビューイングで参加した。

 とにかく圧巻のパフォーマンスだった。正直、μ’sの次だし「見てやろう」「次、ライブに行くか行かないかの判断材料しよう」と思っていた時もあった。そんな邪な私の思いを完全に吹き飛ばす、最高のライブを見せてもらった。最高だった。「次もAqoursのライブを『見に行きたい!!!』」そんな気持ちになった。

 

 そしてなんといっても「想いよひとつになれ」のパフォーマンスだ。あの一連の流れは奇跡だった。曲の頭を弾けずにパフォーマンス中断、過呼吸寸前の逢田梨香子、それを支えて励ます杏樹・諏訪・愛奈、信じて待つ5人、ファンの「梨香子(りきゃこ)」コール、そしてもう一度初めからのパフォーマンス、それをやりきる(失敗直後の2回目で!!!)逢田梨香子

 凄絶すぎて、今思い出しても胸が熱くなる。ラブライブ!にはやはり奇跡が宿っているのだ。梨香子氏の2回目で成功させるというメンタリティにも驚愕だし、震える指で、必死の形相で鍵盤を叩くその姿には、背負っている物の大きさが感じられた。

 まさか「想いよひとつになれ」が9人の曲に、そして、桜内梨子の曲になるとは誰も思いもしなかっただろう。アニメ劇中でも、「これは9人の曲である」ということは示唆されていたが、しかし結局、ダンスを8人で、歌を8人で行っていた以上、我々視聴者にとっては「8人の曲」でしかなかった。今回のライブで、それを覆したのだ。真の姿になったと言うべきか。「想いよひとつになれ」は曜と千歌の色、ブルーとオレンジで染まると思っていた。だが、いざ2日目では桜ピンク、梨子の色に染まったのだ。美しい。人の心の光を見た気がした。

 1stライブのパフォーマンスを以て完成する曲が多かったように感じた。「夢で夜空を照らしたい」は、アニメPVよりはるかに感動的だったし、ユニット曲はそれぞれライブで盛り上がってこその曲に感じた。「想いよひとつになれ」は言わずもがな。「MIRAI TICKET」は直前のミュージカルも含めての完全再現。アニメ放映時の賛否両論を跳ね返す出来だった。アンコールラストに「Step! ZERO to ONE」。これがAqoursだ!!という気概を見た。

 

 本当に、行ってよかったと心の底から思えたライブだった。「μ’sの後釜」じゃない!後釜という事実は事実として大切にし、そのうえでAqoursとして輝くんだ!!!という想いが伝わった。1stライブの妥協の一切無いパフォーマンス。それを通して本当の意味で「Aqoursのファン」になった人も多いだろう(私もその一人だ)。

 勝手な意見だが、ファンも不安だったのだ。「応援するに足るのか」「これにお金をかけていいのか」「μ’sの後継というだけで応援するのは邪な心ではないのか」「惰性で応援してはいけないのではないか」。今回のライブで、真のファンになった者たちは揺るがないと思う。「ラブライブ!の(サンシャイン!!の)Aqours」ではなく「ラブライブ!(サンシャイン!!)」の『Aqours』を応援する!という思いが生まれた。ゼロを1にしたのだ。

 彼女たち18人の航海は、ここにきてようやく始まりを迎えたのかもしれない。しかし、踏み出してしまえば後は前を向いて進むのみ。いかなる困難も吹き飛ばすだろう。困難を砕く力を得たことを予感させた1stライブ。感動を、奇跡をありがとう。

 Aqours、サンシャイン!!

 

追記:ラブライブ!は基本的に水着以外なら衣装を再現する傾向にある。ましてや劇中歌やシングルならなおさらだ。今回、「想いよひとつになれ」は再現されなかった。つまりいずれは再現されるだろう。それは2ndツアーでなのかはたまた来たるべき3rdか。なんにせよ、梨香子氏はリベンジのチャンスがある。衣装も再現したうえでのリベンジのチャンスが。インスタグラムで感謝と反省を語っていた梨香子氏。「想いよひとつになれ」の完全リベンジを果たしてほしい。

素人はだまっとれ~女性声優コンテンツ~

 先日、女性声優コンテンツに2つの小さな動きがあった。ズムサタによるμ’sの「アイドル声優の先駆け」という紹介と、花澤香菜への文春砲だ。(ズムサタでは花澤香菜も取り上げており、その日のうちに文春の報道もあった気がするので、マッチポンプな気もする。)

 ズムサタについては直近の成功コンテンツという意味で紹介したのだと思うし、あのトピックの本質は中盤で紹介された声優養成学校の話だと思うので、「先駆け」という勘違いはかわいいものである。まぁ、女性声優コンテンツをよく知らない人、興味ない人が声優養成校の話のとっかかりにμ’sたちを付けたんだろうという感じがした。

 文春については、人を傷付けるプロフェッショナルなのに、ちょっと取材がおざなりだなぁという気がした。天下の文春が、「声優が恋愛してました!」だけっていうのは、雑としか言いようがない。(アサ芸砲の方が、タイミングも相まってかなり効いた。)

 花澤香菜は、女性声優コンテンツを追いかけている者なら知らない人はいない有名人であり、キャリアもベテラン、実力も折り紙付きである。故に、ちょっとやそっとじゃ揺るがない固定ファンが存在しており、また、そろそろいい年なので結婚しろ!との声も少なくないだろう。結果、たいして盛り上がらない、むしろ応援する声の方が大きいという(小野賢章ファンは知らん。私は男性声優コンテンツ事情に詳しくない。)

 今回の文春のミステイクは、今の女性声優コンテンツの「厄介ファン層」がどこにいるのかを把握できなかったことだ。花澤香菜なら、全盛期の3,4年前でなら相当効いたことだろう。

 

 では、女性声優コンテンツの厄介ファン層はどこに生息しているのだろうか。まずは水瀬いのり。これは確実。そして佐倉綾音SNSをやっていないので露出は少ないが、まぁ多いだろう。あとは上坂すみれなどのTwitterで射精報告をされるような女性声優には多くの厄介が存在すると見ていい。ここら辺ですよ、張り付くなら。参考にしてくださいね。

 余談だが、女性声優の吊るし上げは度々行われており、最近ではアサ芸砲か記憶に新しい(私も相当傷ついた)。歴史を紐解けば、近年の吊るし上げは平野綾を端に発すると考えられる。驚くべきはそれ以降はファンがストーカーに変化して、つまり素人が吊るし上げの材料を持ってきている(豊崎愛生など)。女性声優を傷付ける行為は、実は厄介ファン(ストーカー)の方がプロなのだ。文春は、プロ厄介に女性声優粘着の何たるかを学ぶべきだ。

 

 最後に、これは私見だが、話題性(炎上性)が欲しいなら、女性声優コンテンツではなく男性声優コンテンツを傷付けた方がよく燃えると思われる。最近では、ツキパコや神谷浩史の結婚が記憶に新しい(少し前なら宮野真守の結婚)。呪詛の量と質は、女性声優コンテンツ炎上の比ではない。

 声優コンテンツの時勢の流れは男女ともに非常に激しく、どこの層がメインストリームなのか判断がし難い。TVやラジオでのごり押しとはまた違ったごり押し情勢がある。常にアンテナを張らなければ、すぐに置いてけぼりにされてしまう。オタク向けコンテンツだからと言って、取材を適当に済ませてはいけないのだ。