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なせば大抵なんとかなる

日々の中で考えたことをだらだらと書き記すブログです。

ネットの海をたゆたう

 インターネットを「海」と捉えている人たちって、年代的にはどの層なのだろうか。私自身は20代前半なのだが、漠然と「ネットは海」という感覚を持っている。

 

 ネットの海で泳ぎ始めて早10数年。小学1年生の頃に、家にWindows98がやってきた記憶があるので、そこからだろう。通っていた小学校にも、パソコンルームなるものは既に存在していた。もちろん、中学校、高校にも。

 この10数年で、驚くべき速さでインターネットは進化した。それは通信速度であったり、HDDの大容量化、モニタの品質、マシンそのもの軽量化だったりネットに関わる全てが進化した。それに伴い、ネットに触れる人間も増えた。デジタルネイティブという言葉が生まれるくらい、少なくとも日本ではインターネットを扱う電子機器に触れることが当たり前となっている。

 インターネットを「海」と考えていた私だが、最近、「海と呼ぶには随分と狭くなったなぁ」と感じる。言わずもがな、相互監視的なSNS住人、まとめサイトの跋扈、SNS炎上が当たり前となってからである。無限の可能性を秘めていたような気がしてたインターネットだが、随分と狭い使い方をする人間が増えてしまったなぁと感じるのだ。感じるだけ。実際は……やっぱりあながち間違いじゃないと感じる。新たな知的体験を導く機能より、誰かのマイナス感情を増幅する装置としての機能が先鋭化してしまっていると感じるのだ。「銃が人を殺すのではない。銃を持った人が人を殺すのだ」という感じか。何ともイヤなインターネットである。

 ショートメッセージ機能がもてはやされいる現状で、今一度、ブログを書くという体験が流行ってほしいなぁ、と思う。文章を書くって、疲れるのだ。伝えるって、疲れるのだ。SMSでは得られない疲労感と達成感が得られるのだ。ブログは。

 「伝えるむずかしさと疲労感」が伝わる媒体として、今は動画が流行していると思われる。録画でも生放送でも何でもよいが。でも、動画配信って、私見だが、SMSの域を出ていないのかなぁと感じる。動画編集者の方々ゴメンナサイなのだが、即物的なレスポンスが求められる点で、動画コンテンツというのは、SMSの延長だと感じる。

 

ネットの海から始まって、ブログとSMSの話で終わる。自分の中のネットの歴史を振り返れたと思う。