なせば大抵なんとかなる

日々の中で考えたことをだらだらと書き記すブログです。

島村卯月(アニメ版)は不幸にならなければならなかったのか?

 今更だが、当時から今に至るまで、抱いている思いが結構ある。その一つだ。アニメ版の島村卯月はあそこまでけちょんけちょんにされる必要があったのか、と。

 

 アニメ2期で、卯月はおよそ考え得る不幸を一身に背負う羽目になる。自分の普通さに悩み、周りはどんどんやりたいことを見つけ、追いつめられ、同じユニットの凜と未央には抜け駆けされ、そのくせその二人に叱咤され、最後の砦のプロデューサーには「笑顔です」で押し切られる。最後には神の手により、それをイイハナシダナーに仕立てられる。多分に偏見を含み、マイナスフィルタがかかっているが、おおむねこんな感じである。

 昨今は、まどマギから端を発する、女の子が酷い目に合うアニメが多い。私の愛するゆゆゆもそんな感じだ。そして私はそんなアニメが嫌いではない。むしろ好き。でも、デレマス2期の卯月の扱いには疑問を覚えたのだ。何故か。救いが無かったからだ。

 2期では、上記のように卯月を徹底的に追いつめる。あまつさえ、「笑顔なんて、誰でも出来るもん」というセリフを吐かせてしまう。当時から今まで、あんまりだと感じている。このセリフは、島村卯月という女の子には決して言わせてはいけないセリフだと思う。少しでもゲーム版をプレイしていれば、「卯月はこんなこと言わない!!」と駄々をこねたくなること請け合いである。原作厨と言われればそれまでだが、二期を通して視聴すれば、こんな感想が上がるのも無理はないと思ってしまう。島村卯月という女の子に対して、徹底的に救いが無い。あまつさえ、唐突な「私たちは、ニュー・ニュージェネだよ!」である。私は膝から崩れ落ちた。

 

 勘違いしてはいけないのは、デレマスアニメ自体は面白いということだ。1期蘭子回なんて演出が神がかってるし、凸レーション回は1期も2期も見ていて気持ちいい。*(アスタリスク)の喧嘩っぷりは痛快だ。あ、なんだか1期は面白いという感想になってしまった。2期は卯月のストーリーで気が休まることが無かった。

 デレマス二期から学んだのは、「不幸には必ず救いを」だ。アニメには脚本がつきものだし、その都合でキャラクターが動くのは当たり前だ。だが、そこで不幸な目にキャラが合うのなら、相応の救いも用意しなければならないと思う。卯月には、救いが「ゼロ」だったのが問題だった。イイハナシカナーと演出で誤魔化されてしまった。少しでいいから、理由と、救いが欲しかったなぁ。

 

不幸のさじ加減とは難しいのである。