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なせば大抵なんとかなる

日々の中で考えたことをだらだらと書き記すブログです。

私と刀

雑記

 私の中には、小さな私が住んでいる。二重人格とかではなくて、サッカー選手の本田圭佑が言っていたような「リトルホンダ」みたいな、「リトル私」ってやつだ。

 

 そのリトル私の手には、必ず日本刀が握られている。ただ握っているわけじゃなく、ポーズがたびたび変化する。大きく二つに分けて、「納刀」と「抜刀」だ。

 「納刀」の時は、基本的には穏やか、もしくは無の状態なのだと思う。なんでもない、ふとした時にリトル私を確認すると、だいたい「納刀」で居る。ただ、いつでも抜けるように準備はしてある。若干攻撃的な気分な時は、鯉口を切り、腰を落とし、攻撃態勢を取っている。

 「抜刀」の時は、心中穏やかでない。振り回していることもしばしばだ。剣技の型を保っているときもあれば、滅茶苦茶に振り回しているときもある。リトル私の前に、敵となる「物」が現れることはない。刀は空を切るだけである。刀のイメージは、鍔ありの日本刀だ。平均的な打刀よりは長めのイメージだ。

 

 こんなイメージが現れることを自覚したのは、大学に入ってからだ。1年後期あたりだったと記憶する。イメージの原因は、高校の時の剣道経験に由来すると思われる。高校のときは気づかなかった。大学入学で一区切りついて、私の中の「剣」が、ある意味、分離したのかもしれない。しかし、手放せない。剣は、一度握ると手放せない。

 この「リトル私」は、いつになれば刀を手放すのだろうか。一生手放せないのだろうか。そもそも、リトル私とは一生付き合うことになるのだろうか。それとも自然消滅するのだろうか。今は知る由はない。