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なせば大抵なんとかなる

日々の中で考えたことをだらだらと書き記すブログです。

呪いの権化、女性シンガー。

ラブライブ! ラブライブ!サンシャイン!!

以前、μ’sは祝福か呪いか、という話をした。確実に祝福でもあるが、呪いも内包されているよね、という話をしたい。

 

 サンシャイン!!世界でのμ’sは、スクールアイドルに光と影を生み出した。「努力の量と結果は比例しません!(鞠莉)」という、ある意味一番辛い世界。どんなに頑張っても、報われるかは分からない。それを千歌たちは突きつけられ、なお進んでいるのだ。私の持論として、努力の結果に悲しみ、悔しさの涙が伴ってしまう姿を描くのは、「呪い」であると考える。どんな理屈を付けようと、涙は涙なのだ。

 私は、劇場版ラブライブ!の女性シンガーへの解釈を「未来の高坂穂乃果」と考えている。可能性を生み出したμ’sの結末の一つの世界からやってきたと思う。上手くは言えないが、影=悲しみを生み出す機能も内包してしまったスクールアイドルの形というかなんというか、それを「大人」として表しているというか。

 劇場版ラブライブ!で完結していると、「女性シンガー」は存在しない。

 サンシャイン!!が後に続くために、「女性シンガー」生まれたのだと思う。訪れるかもしれない悲しみの象徴として。サンシャイン!!世界ではきっと、女性シンガーは今もどこかで歌っているのだろう。

 それでも、μ’sは祝福だ。そもそもμ’sがなければ、あらゆる可能性は箱の中だ。少しの呪いと、大きな希望をμ'sは生み出した。呪いも解ければ祝福となる。μ’sは限りなく祝福だ。