読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

なせば大抵なんとかなる

日々の中で考えたことをだらだらと書き記すブログです。

エロとVRと肖像権と暴力

 VRコンテンツの発展により、アダルトコンテンツもまた一歩先へ進むのだろう。すでにアダルトVRコンテンツは製作されているし、実用化も遠くないようだ。アダルトVRエキスポなるものも開催されていたように思う。

 アダルトVRコンテンツでは何ができるのだろう。私が妄想したのは、「憧れのあの人とエッチ」だ。顔と体の大まかなデータさえあれば、かなりのリアルさを伴い、あの日に果たせなかった欲望を満たすことができる。顔を自由に、好みに変更できるダッチワイフといったところだろうか。ダッチワイフとAR・VRの親和性は高いと思われる。顔だけ変えれば良いのだから、VRグラスをつけてダッチワイフを抱く、という製品も開発されているのかもしれない。

 VRは新たな自由空間をもたらそうとしている。写真さえあれば、その人をヴァーチャル空間生み出して、好き放題できるだろう。生殺与奪、思うがままである。だから、VR発展の暁には新たな秩序が生まれると思われる。それは、肖像権のセイフティ(?)モラル(?)。上手い言葉が見つからないが、肖像権に関しての何らかの国家的、世界的なルールが生まれると思われる。

 VRでは、今生きている人だけではなく、過去の人間を出現させることも可能である。表面的だけかもしれないが、写真さえあれば可能と思われる。そしてそれを、好き放題できる。これが問題だ。ジョークソフトとして、歴代米国大統領を惨殺するようなものは必ず出るだろうし、前述の、学生時代の欲求を徹底的に満たす人物も少なからず現れるだろう。過去のプライバシーをも侵される可能性も、VRコンテンツは秘めている。

 私の好きな作品『ソードアートオンライン』でも警鐘が鳴らされていたのは(確かファントムバレット下巻)、「VRコンテンツは、現実世界での暴力のハードルを下げる」というニュアンスの会話があったと記憶する。なまじ現実感を伴ったプレイ体験が得られるので、「ゲームと現実の区別が付かない」という事象が今までよりも多く発生するのは想像に難くない。

 私は、VRコンテンツの未来を、それを扱う人間の善意を信じたい。前述したとおり、確実にVR絡みの悲劇は発生する。しかし、それを上手く、人間の発展に寄与するように扱う人間も確実に生まれる。悲劇の大きさに負けないほどの幸福をもたらせると、私は信じたいのだ。(現実として、「SAO事件」のような事件が起こるとは考えにくい。せいぜい、アメリカで銃乱射事件が増えるくらいだろう。)

 デスゲームはまっぴらごめんだが、ソードアートオンラインのようなVRゲームで早く遊びたいものである。